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2007/05/29(火)

「 学 校 だ よ り 」 平成19年度 5月号  

Posted by 校長 野口直人 at 12:11 午後
Edited on: 2007/10/19(金) 2:56 午後
Categories: 001_お知らせ, 002_校長より

「祝 10代校長 川上忠美先生 叙位・叙勲」

校 長 野口 直人

  今年の1月16日、まだまだお元気で、江戸川区立中学校教育研究会の書写部会の研修会の講師や書き初めコンクールの審査員として、大変お世話になっていた、本校第10代校長の川上忠美先生が急逝されました。
  そのこと自体は、大変残念なことだったのですが、その後、叙位・叙勲の検討が進み、この度、『正六位・瑞宝双光章』という叙位・叙勲が決定しました。瑞江中の“瑞”という字がついているのが、とても嬉しいじゃないですか。来る6月1日、ご遺族である奥様、川上さほみ様とご長女の高梨悦子様に、都庁にて伝達されます。

  川上忠美先生は、大正13年4月7日のお生まれで、昭和19年9月30日、三重県国民学校の訓導に任じられ教師としての第一歩を踏み出されました。敗戦直後の混乱した教育界で、教科書や文房具などが不足する中、手作りの教材で指導に工夫を加え、若き情熱を持って、生徒の教育に当たりました。三重大学学芸学部付属小学校に勤務の後、文部省教員検定試験の芸能科書道に合格し、昭和27年より、三重県立尾鷲高等学校教諭となり書道の指導に情熱を注がれました。
  昭和32年からは、東京都の教員となり、八丈島末吉中学校の教諭になられ、孤島における音楽を中心とした情操教育に新しい教育分野を見いだされました。
  昭和36年からは、葛飾区立堀切中学校に異動され、変わらぬ情熱を注ぎ続けられました。戦後日本の再建期を経て、高度経済成長期に代表されるように、産業経済の発展により、国民の所得水準が向上し、生活が豊かになるとともに、国民の教育に対する関心や熱意が向上していく時代において、国語科の教師として、生徒を指導し、知・徳・体の調和のとれた人材を育成されました。
  昭和41年からは、葛飾区立高砂中学校に異動され、中学生の非行・暴力が課題であったこの時代にあって、生活指導主任として、非行生徒との心の交流実践に努め、生徒指導に全力を傾けられました。
  昭和49年からは、7年間、葛飾区立小松中学校と葛飾区立奥戸中学校で、教頭としても、夜を徹した生活指導や、日曜日にも保護者の集まりなどを計画し、徐々に生徒の心を開き、校内暴力を沈静化させ、正常な学校に変容させていかれました。
  昭和56年からは、江戸川区立瑞江中学校の校長に補され、30余年にわたる初等教育の経験により培われた教育者としての識見と指導法を校長としても遺憾なく発揮されました。中学校における指導は、教科の学習をもってその中心的な課題とする信念のもと、訴え続けられました。そのため、指導法の研究を中心とした校内研修を推進されました。
  一方、校外にあっては、昭和57年から2年間、東京都中学校書写研究会会長として、その運営と研究の中心となり、東京都あるいは全国の中学校書写教育の向上、発展に寄与されました。また、全日本書写教育研究会の副理事長として、小・中・高・大の書写教育の連携を進め、小学校から大学までの一貫した書写教育の発展に尽力されました。
  退職後も、江戸川区の書写教育に多大な支援をいただくとともに、昭和60年から平成16年までの長期にわたり私立愛国高等学校の書道科の講師をなさいました。

  川上忠美先生は、以上のような功績のみならず、性格温厚、自己に厳しく、他には慈父のごとく接し、実践力に富み、公正な考え方と磨かれた人格は、教育者としての社会からの尊敬のまとでありました。今回の叙位・叙勲は、誠にもって、至極当然の結果であり、私たち瑞江中学校関係者一同は、川上忠美先生の叙位・叙勲をお祝い申し上げるとともに、改めて川上忠美先生のご冥福をお祈り申し上げます。