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2008/10/02(木)

「 学 校 だ よ り 」 平成20年度9月号

Posted by 校長 野口直人 at 10:35 午前
Edited on: 2008/10/02(木) 11:29 午前
Categories: 001_お知らせ, 002_校長より

「周利槃特(しゅりはんどく)」

校 長  野 口 直 人

 9月1日(月)の始業式で話した内容を、その時は時間がなくて話し切れなかったことを付け加えながら、お伝えしたいと思います。

 今年の夏休みは、とても部活動が活躍しました。
  バスケット部の女子は、リバーサイド・カップ大会で、優勝しました。夏の総合体育大会での公式戦一勝が、はずみになったのでしょう。剣道部は、女子団体戦、区大会3位、ブロック大会5位で都大会に出場しましたが、2年生が林間学校と重なったため出場出来ず、3年生と1年生だけで頑張りましたが、緒戦(二回戦)で敗退しました。柔道部は、男子団体戦、区大会優勝、ブロック大会優勝で都大会に出場し、準々決勝で敗退後、関東大会出場をかけて敗者復活戦に臨みました。しかし、2-2の後、大将が足のじん帯を傷め棄権負けで、惜しいところで関東大会出場を逃しました。でも、実力は十分。近いうち、関東大会そして、全国大会も夢ではないところまで来ています。
  さて、その夢を、この夏、実際にかなえたのがテニス部でした。男子団体戦で都大会3位、都総合体育大会準優勝、関東大会5位で全国大会出場を決めました。大山PTA会長を中心に、応援隊が組織され、地域の町会長を中心とした町会等、保護者やOB達や教職員を中心とした学校関係者、その他大勢の方のご支援をいただき、8月15日には、江戸川区長多田正見様に激励していただき、8月18日、名古屋の東山公園テニスセンターで、『全国中学生テニス選手権大会』に臨みました。8月19日、バス1台を仕立てての大応援団の見守る中、1回戦尼崎市立小園中学校に3-2で勝利し、2回戦名古屋市立若水中学校に2-0で勝っていたところ雷雨中断により調子を狂わせ、2-3で惜敗しました。惜しい試合でしたが、選手達は大満足で、すぐ、清々しい顔に戻りました。それも、年度始めに立てた“全国大会出場”という大きな夢をかなえたからです。
  夢は、かなうんです。

 どんなに難しい夢もかなうんだということとして、釈迦の弟子の一人「周利槃特」というお坊さんの話をします。
周利槃特は、インドの北部の人で、兄の摩河槃特と共に、釈迦の弟子となりました。兄は大変賢かったのですが、弟の周利槃特は、大変物覚えが悪く、自分の名前すら覚えられず、托鉢に出掛けても、釈迦の弟子として認めてもらえず、お布施をもらえませんでした。釈迦は、これを憐れみ、「周利槃特」と書いたのぼりをこしらえて、周利槃特に持たせ、名前をたずねられたら、こののぼりを指さすようにと、言いました。次の日から、のぼりを背負って行くと、人々は釈迦が書かれたのぼりを見るだけで、ありがたがり、周利槃特に、たいそうなお布施を施しました。
さて、兄の摩河槃特は、物覚えの悪い弟に、何とか釈迦の教えを覚えさそうとしますが、弟は、朝、聞いたことも、昼には忘れてしまうので、自分の愚かさに涙を流して途方に暮れました。それを見ていた釈迦は、「自分が愚かであると気づいている人は、知恵のある人です。自分の愚かさに気づかない人は、本当の愚か者です。」と言い、周利槃特にホウキを渡し、「塵を払おう、アカを除こう」と唱えて掃除をしなさいと教えました。
  その日から、周利槃特は、来る日も来る日も掃除をし続けました。やがて、“愚か者の周利槃特”と呼ぶ者はいなくなり、皆、“ホウキの周利槃特”と呼ぶようになりました。そして、何十年もたち、周利槃特は、自分の心の塵やアカをすべて取り除くことができ、阿羅漢という聖者の位にまでなったのでした。
  その後、周利槃特は亡くなり、彼のお墓には見たこともない草が生えてきました。彼が自分の“名”を背中に“荷(にな)って”、ずっと努力したことから、この草は、『茗荷(ミョウガ)』と名付けられたのでした。
  そして、「ミョウガを食べると物忘れをする」などという、周利槃特にとっては、何とも失礼な俗説ができたそうです。・・・・・・・でも、周利槃特がこのことを知っても、きっと笑い飛ばすのではないでしょうか。
  努力を続けさえすれば、誰でも夢は、きっとかなうんです。